家族の写真飾る心理

先日、娘が友達の家に遊びに行って、カルチャーショックを受けて帰ってきた。それは。

「〇〇ちゃん(友達の名前)の家には、〇〇ちゃんの赤ちゃんの頃から今に至るまでのたくさんの写真が飾られていた」とのこと。

…気がついちゃった?

子どもの写真を飾る家の割合は多いのかそうでもないのか、よくわからない。でも体感として少ないということはないような気がする。

訪問した家で家族の写真を飾っているのが目に入ると、とても印象に残る。なぜなら、私が全く家に写真を飾らないから。

そして、なんとなく後ろめたい気持ちになる。なぜ、自分は全く子どもの写真を飾る気持ちが起きないのだろうと。別に、飾らない!とか強いこだわりを持っているわけでもない。単にそういうことを思いつかないのだ。

でもまあ強いていうと、写真はその時点でもはやただの絵で、生きて動いてかわいいことを喋ったうちのあの子どもではもはやない、ような気がする。

楽しい思い出があったとして、そのときに撮った写真があったとして、私が想起したいのは、生きて動いて喋ったあの光景で、あの時に聞こえた音やにおった臭いや、食べた物とか、身体が感じた感覚であって、止まった絵ではないんだよな。

下手に写真があったりするとその写真の絵に引っ張られて、その時に見たもの、聞いたもの、思ったことなどなどの身体的な感覚がなくなるわけではないのだけれど、何か違った、後づけされたような記憶になってしまうのではないかな、と無意識に感じるから、写真はあえて飾ろうとしないのかも…というような気もする。

とはいえ、娘に「〇〇ちゃんは親に愛されてるなって思ってうらやましかった」と言われると、すいませんドライな親で、としか言えない。

でも、じゃああなたも子どもの頃の写真を飾りましょうか?と娘に聞くと、「いえ!それはけっこう!!」と固辞された。

まあそんなもんですよね。

家族を想う、家族に向き合う方法も色々。でも家族と一緒に生きていくことも自給自足の第一歩。都会から自給自足。無料メルマガやってます。

+゚*。:゚+.゚*。:゚+.゚*。:゚+.゚*。:゚+.゚*。:゚+ +゚*。:゚+.゚*。:゚+゚*。:゚+.゚*。:゚+.゚*。:゚+.゚*。:゚+.゚*。:゚+ +゚*。:゚+.゚*。:゚

パーマカルチャー、自給自足、そういう生活はいなかに行かないとできないような気がしていませんか?家族は全然そんな気がなくても、移住とかしなくても、いつでもどこでも自給自足は始められます。今ここで始める自給自足、「まちではじめる自給自足」無料メルマガやってます。都会でも、子育て中でも、仕事が忙しくても、今日から始められる、自給自足的な暮らし方への考え方を学べます。メールアドレスだけでも登録できます。登録解除も簡単ですので、ぜひお気軽にご登録ください(*^^*)

今すぐメルマガ講座を読んでみたい方はこちら

「まちではじめる自給自足」無料メルマガ講座




よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次