昔は普通、今ならアウト。私に起こった昭和的出来事たち

有名タレントの人権侵害事件に端を発するフジテレビの凋落が気になる。個人的なことだが、大学の先輩が就職した会社だというのが気になってしまう理由の一つ。あの人まだ勤めているんだろうか。でも気になるのがきっかけになっていろいろ考えさせられる。

すごい速さで世の中のフェーズが変わったなと感じる。

目次

約20年前。職場でのアウト。

私は昭和52年生まれ。就職したのは2000年。あれから25年。

22歳からの主に職場でのことを振り返って、今考えてみると全然アウトな記憶が思い出されて、世の中って変わるんだなぁと不思議な気持ち。

あ、フジテレビに関する事件及びジャニーズなどで顕在化している人権侵害的行為やトラブルに関するニュースはここではみんな知っているという前提で話を進めます。

さて、自分が体験した今ならアウトな昭和っぽいエピソード。

あれは私が20代から30代まで某市役所で働いていたときの、第一子を妊娠中のこと。

私は、ある上司からいつも「横綱」と呼ばれていた。

いや、一発アウトですよね。2007年頃の話です。

もちろんそう呼ばれるのはとても嫌だった。でも呼ばれて振り返った時のその上司の表情はいつもニコニコしていた。親しみをこめて呼んでいるつもりで、面白いこと言ってる感すら出していた。私はその無邪気なまでの悪気のなさを特に指摘もせず、ましてや責めもせず、呼ばれた時は普通に反応して呼ばれた用事を済ませてただけだったと思う。

またある時。職場の先輩について。

私はやや長い髪でカラーをしてパーマをかけていたことがあった。私はその先輩に、桜塚やっくんと呼ばれていた。

うーむ。横綱といいやっくんといい、私は馬鹿にされるキャラだったのか?あんまり自覚はなかったけれど。

20代。女性。まあそういう扱いだったのだろうな。

飲みに行ったら、酔ってご機嫌な先輩に頭をけっこう思い切りはたかれるなんていうこともあったな。頭をはたかれるのは学生時代のサークルの飲み会でもごく当たり前にあった。

これらのこと、もちろん当時も嫌だという自覚を持っていた。はっきりと抗議したこともあったと思う。

でも、相手はまったく悪気がないというか、むしろ面白いことをしているという感じで、堂々としてなんの後ろめたさもなかった。そんな相手に抗議してもまさに暖簾に腕押し。抗議するほうがむしろ心が狭いみたいな扱いを受けたと思う。

この無力感は、私と同年代以上の女性ならたぶん多くの人にわかってもらるんじゃないかと思う。

ジャニーズ、お笑い芸人、フジテレビと来ての無数のセクシャルハラスメント案件でよく聞かれる、「あの頃は言っても誰も聞いてくれなかったけど」っていうやつだ。

なるほど。私が経験したああいうのもこういうのも全部ダメだったんだ。いやそりゃそうだよな。

被害者か、加害者か

しかし、かつての雰囲気に対して完全に批評者の視点で、全くあの頃はけしからん!!と堂々と批判する気分にもなれない。

自分はあの頃の社会をはっきりとした違和感もなく普通に生きていたし、今も普通に生きている。今も昔も、特にしっかりとした考えがあったわけでもない。なんとなく生きてきただけなのだ。

今はアウトなことを許すかつての社会の雰囲気、そういう社会に対して、自分もその風潮を強化するようなことをしてきていないかと言ったら、はっきり言って自信がない。たとえば。

最近話題になっている(2025年4月現在、フジテレビ第三者委員会調査報告書が公表された頃)有名タレントが、フジテレビ女性社員に対して、相手の同意も得ない形で2人きりになり、深夜に下半身を露出したという件に関して。

思い出したけど、大学時代のサークルの男性の先輩で飲むと全裸になる人、いたよ!それも複数!

あの頃、少なくとも私がいたサークルでは男性が脱ぐのわりと普通だったような…。

そういうのに対して嫌だという気持ちもあったけれど、一緒に笑っていたこともあったかもしれない。

人の見た目を笑ったり、ツッコミと称して叩くといった暴力、性的なことを笑う風潮、そういうものに自分が反対したこともなかったし、積極的に加担したことだってもしかしたらあったのかもしれない。

あの頃許されていたことが、なぜ今はだめになったのか

つい10年くらい前まで大丈夫だったこと、今はだめになったのはなぜなんだろう、と思う。

上の立場の人だから、みんなが面白いと言うから、私は女だから。

敢えて言葉にすればそういう理由だったのかもしれないが、嫌だと感じることがあってもなんとなく我慢したり、かと思うと一緒に楽しんでいると言われても仕方ないように暴力的に振る舞ったり、そんな無自覚に生きていたかつての私の日々は、あの頃の私の生きづらさと無関係なはずはない。

時に振り払おうとしても、無邪気に悪気なく当然のように居座り続けた根性と暴力の昭和な社会の雰囲気。

なぜ今さら許されなくなったのだろう。

昭和的思想が深く埋め込まれた世代(団塊の世代とかその下くらい?)が社会の中心から退いたからか。

グローバル化の深化による多様性の思想のさらなる普及。

男女平等教育の深化。

上の立場の者、夫、父、男性に対して、自分の意見を示したり逆らったりしたら、かつては生きるのが難しかったし、だからあんまり自分の意見は言わないみたいな風潮が社会に浸透していたけれど、今は別に自分の気持ちはっきり言って相手を気分悪くさせても、ぜんっぜん普通に生きていけるとみんながすっかり考えるようになったとか。

いろいろあるのかな。

AIの時代に、機械のように上の者の言うことを従うだけの人間はいらない。今こそ人間らしい人間が必要なのだ。

とか、聞いたような聞かなかったような。

まあ自分らしく生きられるようになってきている社会に、ルッキズムや女性蔑視、笑いにかこつけた暴力なんて、おのずと廃れていくのかな。

とにかく社会は変わる。あっという間に。変わったのを目にしてそれだけは学んだ。

いつもできるだけ変化に対応できるように意識して生きることは大切だ。生き抜くために。

人間らしく自分らしく、これからの変化に対応できるために、人との関係性を取結び、いつでもどこでも始められる自給自足を探求し、実践するのみである。

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