
怖い夢を見た。ありがちな追いかけられる夢。
カウンターの陰にしゃがんで仲間たちと隠れている。入り口から銃を持った人間が入ってくる。私はその人間に気づかれないように音を立てないように気をつけながら、かかとをつぶしていた靴をきちんと履き直す、走って逃げるために(でもなぜそんな大事な場面で靴をちゃんと履いていないのだろう、夢って)
見つかった。私の前にいる仲間たちから順に撃たれて倒れていく。次は私だ。とその瞬間、隣にいた仲間が敵に銃で打ち返し、そのすきに私たちは走って逃げる。
建物の外に出て、すぐに路地を曲がる。すると別の敵が待ち伏せしていて、銃を向けられる。
もうだめだ。
そこで目が覚めた。またもありがちに、「夢か」と思う。まだ深夜。
ぼんやりとした意識の中でも、肘から先の震えるような感覚、喉がつまるような感覚。夢の中で感じていた強い現実感がまだ体に残っている。
「これは、現実の何かの暗示だろうな」ぼんやりした意識の中でそう思いながら、また眠りに吸い込まれていった。
朝になって、目が覚めた。深夜のあの夢の中の恐怖体験の現実感は体からすっかり消えていた。
私はここ数日ある人間関係で強いショックを受けて日常生活に支障をきたすくらいストレスを受けていた。私の中ではけっこうめずらしいことだ。
数日前にショックを受けて以来、ショックの原因となった人とのやりとり、後悔、悲しみ、悔しさ、怒り、さまざまな感情がぐるぐるとずっと頭の中に渦巻いていて、体中がその思考にしばられているような感覚にとらえられていた。
今朝、その感覚が体からなくなっていることに気がついた。記憶としては同じように覚えているのだけれど、現実感は無くなっていた。
怖い夢の現実感もなくなっていたし、あのつらい出来事からくる体の感覚がもたらす現実感もなくなっていた。
私の脳が、怖い夢と一緒に現実の出来事のつらさも持っていってくれたのかな、と思った。
人はこうやって、自分ではどうしようもできない負の記憶を昇華させるのかな。
自分でしていることとは言え、驚く。
私は今まで、私の体に指令を出し私を動かしているのは私の脳だと思っていた。でも、脳ですら私の預かり知らぬところで、私を守るために働いてくれている。私が私だと認識しているのは私の中の意識という、本当にちょっとの割合でしかないのかもしれない。