実家の遊休農地どうするのかな

父方はずっと農家だった。ひいおじいちゃんが本家から分家して、今の実家のあるところに来た。たぶん戦前。

ガチ農家だった頃はもっともっと土地があった。父や父の兄弟の学費など、色々お金が入り用であっちを売りこっちを売り、最後に残ったのが西側の土地。

木もない。作物もない。

実家は埼玉県上尾市の市街化調整区域にある。上尾も私が子供の頃に比べればだいぶ都市化されて自然もかなり減ったが、実家の周りは市街化調整区域のため、住宅街に比べれば相変わらず静かだけれどやや不便なところだ。

今は、農業経営基盤強化促進法という法律に基づく利用権設定という根拠で農家さんにただで貸している。利用権設定の際の詳細を見ると、約3,000㎡の広さ。
一応3年の期間を設定していて、終期は来年の5月31日。おお。もうすぐではないか。

親が本当にどうにかなったら、この土地どうしようかな、というのがもともと私がパーマカルチャーや農的暮らしや自給自足などを考えるきっかけだった。

でもいろいろ考えるうちに、農的暮らしをするのはここではない、と考えるようになった。

一番の理由は

もと竹やぶ。防草シートが貼られているが、それも突き破って雑草が。

周りの風景がイケてなさすぎ。

農地の一部分には竹やぶもあった。両親は竹林の手入れの仕方を全く知らなかったしする気もなかったので、竹やぶは荒れに荒れていたが、それでも毎年たけのこが取れた。

私も成長しておばさんになって、ある年気がつくと、竹やぶは業者に頼んで潰されていた。

ついでに言うと、農家さんに貸している畑も、以前は一面に桐の木が植えられていた。落ち葉が大変だと言うことで、あるときすべて抜かれて、なにもない土地になった。

広い土地を管理するのは大変なことだとは思う。でも、私は父が庭に出て何か作業をしているのを見たことがない。両親にとっては木や草は厄介者以外の何者でもない。

竹やぶはなくなり、桐の木もなくなり、昔の家もつまんない2階建てに建て替えられ、実家は私が子どもの頃の面影はない。

人工物はないけれど、自然物もありません状態。ただの空き地。

ここじゃあないんだよなあ。と思うようになった。

とはいえ、今貸している農地、来年の6月には引き続き貸すのか返してもらうのかを決めないといけない。

返してもらったら私が大きめの家庭菜園として使ってもいいけれど、何か他に活用できる道があったりするかしら。

あまりにイケてなさすぎて、家族以外の人間が足を踏み入れるなど、考えもしなかったのだけれど。

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