小2の夏の記憶

本を読んだ。

1985年日航機墜落、私は、小学校2年生だった。子どもだったから事情はよく分からなかったが、断片的なことは強烈に覚えている。夕方7時のニュースでアナウンサーが青い顔で速報を伝えていたこと。夜の9時を過ぎても情報がぜんぜん分からなかったこと。翌日以降の悲惨なニュースの数々。スイチョクビヨク、ニッコーキ。。子どもだった私の心にそれらの言葉は恐ろしい言葉として刻まれた。

この本を読む前に、同じ作者が書いた「日航123便墜落の新事実ー目撃証言から真相に迫るー」という本を読んでいた。その本では、目撃証言や当時の資料を詳細に分析して、事故は当時言われていた整備不良による圧力隔壁損傷が原因ではなく、何らかの外部からの衝撃が原因で、それは米軍が関与しているのではないか、と結論づけていた(確か)
それを隠すために、救出活動が遅れ多くの犠牲者を出すことになったのではないか、と。

そんなことあるのだろうか。米軍が間違って民間機を墜落させてしまうような原因を作ること、なんてあるかどうかは分からないけど、もし本当にあったのだとしたら、日本政府も全力で隠すだろうっていうのはそうだろうなとは思う。

子供の頃、夏は夏休みで楽しいけれど、怖い季節でもあった。小学校の教師だった母は、やたらと戦争の絵本や話を私に聞かせた。夏は、8月6日と9日と15日があった。あの頃は夏になるとたくさんの戦争関連の番組がやっていたような気がする。小学校低学年の私は、まだ日本で戦争があるような気がしていた。あの飛行機の事故は、暑くて寂しくて怖い夏に、恐ろしくて悲しい記憶を上塗りした。

最後の最後まで助かると信じて頑張り続けた乗員、見つかったたくさんの遺書、加害者遺族として、表立って悲しめなかった乗員の家族。。

数え切れない無念や悲劇、極限の状況で発揮されたプロ意識、それらはあの戦争とは直接関係のないものだと思っていたけど、作者の主張する真相が本当であれば、私が子供の時、戦争とあの事故を同じ種類の記憶として心に刻んでしまったことはあながち間違いではなかったのだろうか。

あの事故は、本当に本当に悲しい事故だった。

私だったかもしれなくて、寿命で平穏に死ぬかもしれない世界に、私は生きている。

+゚*。:゚+.゚*。:゚+.゚*。:゚+.゚*。:゚+.゚*。:゚+ +゚*。:゚+.゚*。:゚+゚*。:゚+.゚*。:゚+.゚*。:゚+.゚*。:゚+.゚*。:゚+ +゚*。:゚+.゚*。:゚

パーマカルチャー、自給自足、そういう生活はいなかに行かないとできないような気がしていませんか?家族は全然そんな気がなくても、移住とかしなくても、いつでもどこでも自給自足は始められます。今ここで始める自給自足、「まちではじめる自給自足」無料メルマガやってます。都会でも、子育て中でも、仕事が忙しくても、今日から始められる、自給自足的な暮らし方への考え方を学べます。メールアドレスだけでも登録できます。登録解除も簡単ですので、ぜひお気軽にご登録ください(*^^*)

今すぐメルマガ講座を読んでみたい方はこちら

「まちではじめる自給自足」無料メルマガ講座




よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次