自分のアカウントを見たところ、ツイッターは2010年から始めていた。現在までの期間の99%以上は受信するためのみに使っていただけだけど。
もっと昔、2000年頃私は大学生だったが、自分は情弱であったと思う。情弱などというひどい言葉は当時なかったけれど、インターネットが普及し始めたばかりで私はうまく使いこなせなかった。卒論は図書館の検索カードみたいのとかを一生懸命引っ張り出して調べた記憶があり、ネットは全く使わなかった。図書館で調べた限りで書いた卒論、ものすごく限定された情報を使っただけで、こんなん卒論じゃなくて単なる作文だよな〜と恥ずかしかったものだ。ネットから自分のほしい情報を取ってこれる友人がうらやましかった。
ツイッターは好きな作家や思想家が何か発信してるらしいことを知り、それを読みたくて自分もアカウントを取った。すごいと思ったのはフォローしている著名人から直接、すぐに、ひんぱんに情報をもらえることだった。
もっとも強烈に記憶しているのは、東日本大震災。埼玉でも震度5強だった3月11日のあの晩、小さい子を抱えながら一晩中収まらない余震に眠れず、ガラケーから見たツイッターでは、著名人たちが発するツイートで、原子力発電所が相当まずい状態であるということを知った。そうそう、ツイートからのリンクで飛んだ動画で、浜岡原発という名とその危険性を知り、本当にショックだった。思えば私の世界観が変わるきっかけとなったのは、3月11日から12日にかけての深夜だったのだなあ。
その頃から、テレビや新聞のニュースよりも先に、ツイッターで重要なニュースを知る、ということが多くなった。
NHKニュースとかでドヤ顔(すいません私の悪意です)で放映されている映像が、そんなん私1週間位前ツイッターで見たけど、みたいなこともよくある。
今では、SNSといったらたくさんあるから、SNSのほうがテレビなどより先、というのは当たり前なのだろうか。そういえば2020年初頭にあの流行病でもまだ日本がのんびりしていた頃、武漢が相当まずいぞ、と知ったのも中国に住んでいる日本人医師の引用ツイートだった。おかげでマスクが一切手に入らなくなる、間一髪でマスクを買えた。ありがとうございます。
最近ではツイッターも、フォローしている意味あんのか?みたいに、なんだかよくわからないツイートが乱れ乱れに流れていて、ちょっともう時代としてどうなのよみたいに、先駆けた人々には思われているみたい。昔は、本当にフォローしている人のツイートと、その人が流すリツイートしか流れてこなかった気がする。今よりもっとすっきりしていたと思うんですけど、どう思います?
それでも私はやっぱりツイッターから得られる情報は貴重である。フォローしている著名人から直接情報を端的に得るのに一番やりやすい気がするからである。
でも、たしかにそういう機会も以前に比べたら減った気もするなー