共働き無理だった

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無理矢理両立させていた仕事と子育て

    ママチャリの前と後ろに子供を乗せているお母さんを街で見かけることがある。見かけるたびに、「ああ、私はもうあれはやらなくていいんだ」とほっとする。悪い夢から覚めたときのような気持ち。

    2000年から2013年まで私は某市役所の職員だった。約14年間の公務員生活の中で、最後の5年間は2人の子供を育児をしていた。

    その5年間のうち、2人目の子が生まれたあとは2回目の育児休業をとっていたので、仕事をしながらの子育ては約3年半。

    振り返ってみると意外と短い。でも、当時は永遠に終わらない地獄のように感じていた。子育てが地獄だなんて子供には申し訳ない話だが、特に2人目の子供の育児休業が終わってからの仕事復帰後、退職するまでの2年弱が本当に辛かった。

    月曜から金曜の完全ワンオペ育児。朝6時に起きてから、朝食の準備と洗濯、洗濯物が終わったらベランダに干して、保育園の荷物を2人分持って、足元のおぼつかない2歳児と5歳児を連れて、7時半には自宅を出発。

    車で保育園に2人を送り届け、職場での時間はあっという間に過ぎ、5時には保育園のお迎え。

    帰宅したら急いで夕飯作って、食べ終わったら片付けて、翌日の朝食と夕食のために野菜を切ったりして、10時には寝る。

    振り返ってみると親が働いている家庭なんてこんなものというか、延長保育のない時間で迎えに行けるのだからむしろ恵まれていたと言えるのかもしれないが。

    平日はいないのと同じと言ってもいいくらい、朝早く出て深夜に帰ってくる民間企業サラリーマンの夫は全く戦力にならなかったので、平日の保育園の送り迎えと家事は全て私がやらなければならなかった。(ちなみに土日の家事は夫が一手にやってくれていました)

    時短勤務で5時には保育園に迎えに行けるというわりと良い状況と、完全ワンオペ育児というわりと大変な状況、振り返ってみると共働き家庭としてはどちらかというと楽な方なのでは?な当時、とにかく私は辛くて辛くて仕方がなかった。

    イヤイヤ期の子供が謎の理由で泣く。自分はいつも疲れて眠い。短時間勤務でひたすら職場に気を使う。秋のある日、子供の鼻が詰まっている。熱が出るんじゃないか。そうしたら、車で30分離れた実家の母親を呼ばないと。

    仕事はルーティンで終わることだけじゃなくて、ややこしくて色々考えないといけないこともある。調べないといけないこともある。絶対残業できないのに。無理やり仕事を切り上げて、子供のお迎え。頭の中を仕事モードから家庭モードにうまく切り替えることができない。

    いつも緊張していた。いつも疲れていた。

    レールから下りられない地獄

    夫が中国に駐在になるので、これ幸いとばかりに退職した。中国への帯同の話がなかったら、私はいったいどうしていたのだろう。

    退職前最後の2年間を振り返って、本当に私には共働きは無理だったんだなあと思う。

    当時、毎日が地獄のように感じていたのは、無理なのに無理なことをやめることはできないと思っていたから。

    やめればよかったのに。下りればよかったのに。

    2人の子供を育てながらの市役所職員として働き続けることは私にはできないと早く気がついて、さっさと辞めればよかったんだけど。

    辞めるという知恵がなかったんだよね。なぜなら。

    親に止められる。公務員辞めたら私にはなんにもない。みっともない。

    辞めたら死ぬくらいに思っていた、いや無意識にそう感じていた。当時の感覚を敢えて言葉にするなら、切り立った崖の上で生きているような感覚。公務員辞めるとそこから落ちるよ、みたいな。

    それから、仕事と子育ての両立がつらいから公務員辞めるなんていう人も周りにいなかった。

    みんな子育てしながら働いていた(でも今考えてみると職場結婚で夫婦とも市役所職員ていう人が多かった。その場合かなり家事育児を分担できるよね)。他の人にできて自分だけできないなんて認めたくない。というか、自分もできるはずだと思っていたんだよね。実際あと何年かやり過ごしていたら、そのうち子供も大きくなってなんとかなっていたのかも。

    子供は虐待サバイバーになっていたかもしれないけれど。(あ、暴力はふるっていませんよ)

    でもあの時辛かった私の気持ち、子供と一緒にいたい。自分の時間がほしい。私1人で小さな子ども2人の面倒を見るのがつらい。こんなに体が大変な割に職場では早く帰らないといけなくて、役に立っていなくて(と私が勝手に思っていただけ)肩身が狭いのに、いきなり残業が必要な大変な仕事を押し付けられるんじゃないかという恐怖。

    そういうのから解放されたいと思うって、自然なことだよね。全然ありだよね。

    ヘラヘラしながら逃げて、全然よかったのに。

    誰もそういうヒントをくれなかったなあ。10年以上経って、ようやく自分で気がつくことができました。

    他の人がどうしているとか関係なく、自分のことを自分で認めてあげることができていたら、あの時、もう少し心穏やかに生きることができたかもしれない。

    もしかしたら「いつ逃げてもいんだ、ヘラヘラ」という境地になれたら、急に楽になってそこまで辛くなくなっていたのかも、とすら思う。そうしたら辞めなくてもすんだかも。

    まあ別に後悔しているわけではない。あの頃は本当にピリピリして怖いお母さんだったので、子供たちには申し訳ない気持ちでいっぱいだけど(実際今もたまにそのことで子供に謝っている)、あの頃のことがあったので、今は自分のしょうもないところも認めつつ折り合いつつ生きることができている。

    残りの人生は、世の中のすべての人、特に子供たちに、あなたはそのままでいいんです、と祝福を送って生きていきたいなと思っている。

    ま、別に私に祝福送られてもなんもうれしくないと思いますが。

    人間の祈るという行為の力はわりとなめられたものじゃない、とどこかで読んだし。

    老いていくこれからの人生と、祈るという行為は割と相性がいいと思う。

    公務員辞めたときの話はこちら。

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