農的暮らしを考え始めた直接的なきっかけ

タイトルのとおりだけれど、考え始めた直接のきっかけは、両親がそれぞれに調子を崩しはじめたことでした。

今回は母のことを中心に書きたいと思います。

母は、76歳。この世代の女性にはとても少ないと思うのだけど、母は国立の大学を卒業して小学校教師になり、最後は教頭にまでなって定年退職まで勤め上げました。定年退職後は、公的機関の名誉公務員的なこと(民生委員的なもの)をわりと長いことして、その後は私の父の自営業の手伝いで簡単な入力などをしていました。

結局73歳くらいまでなんだかんだ働いていたことになります。家族以外の人と関わる際の母の外向きの性格は、私はあまり認識していなかったけれど、超絶けむたい父と話すのがめんどくさいので、私は父と話す代わりに母と話していて、そういう意味では母とは話しやすかったです。この世代の女性がこの年齢まで働いているということもあって、母の友人や周りの人にとっては多分、しっかりした人という印象だったのでないかと思います。

3年ほど前、父の商売の手伝いも私に交代して、母は完全に仕事的なものから離れて、家にいることになりました。それは母自身も望んでいたことでした。

これくらいの年齢でがらっと生活スタイルが変化することは危険なことだったのかもしれないと今は思います。
家にずっといるようになって間もなく、母の言動におかしなことが多くなりました。

会話の中で、同じことを(辟易するくらい何度も)繰り返し言う、同じ用件の電話を短い時間の間に何度もする、私の息子の名前を、母の甥(つまり私のいとこ)の名前で呼んでしまう、などなど。

認知症の大きな特徴として本人に病識がないということがあるのですが、母も例に違わず、ちょっとおかしいことを指摘すると非常に怒りましたが、なんだかんだで脳神経内科を受診することができて、進行を遅らせる薬を飲んでいます。薬の効果だとも思いませんが、それから3年近く経っても母の認知症は、進みも治りもしていません。

一応介護認定も受けてはいますが、病気というよりは性格が変わったなという感じです、私にとっては。認知症というよりは、うつっぽい感じ。

認知症と言うと徘徊とか、問題行動が困ると思いますが、母はそういうのは全然ないのです。ただ、変形性膝関節症で、絶対手術したほうがいいのに頑なに手術を拒み、膝の痛みであまり動く気にもならないみたいで、最小限の家事をする以外は、カーテン閉めきって安楽椅子に座ってぼんやりテレビを見ています。料理はほとんどしなくて父もできないので、食事はだいたい父の買ってきた惣菜か、冷凍食品か、外食。

母の様子を見ての私の印象は、認知症というのは、その人の(あまり良くない方の)性格的な特徴が凝縮されてくる感じ。

どんな感じかと言うと、例えば、もともと金払いはいい方だったのですが、やたら人にお金をあげたがるようになりました。私の子どもが遊びに行ったときに、何度もお金をあげようとしたり、家のシャッターの修理に来た業者さんにチップをゴリ押ししたり(いらないと言っているのに)、私にもたまにいきなりお金くれたりするのですが、そのあげ方が、ほらよ、みたいな投げ落とすみたいな感じで、品のないことこの上なくて、病的なものだから仕方ないとは思いつつも、そんなときは怒りの感情が湧き上がって背筋がぞわっとなります。

また、やたらと人の目を気にしている様子が病気だから仕方がないとは言え、どうしても嫌な気持ちになってしまいます。実家の庭は無駄に広いのですが、春夏は雑草、秋冬は落ち葉が気になってしょうがないらしく、人に見られたらみっともないといつも言っています。でも市街化調整区域で周りに店もなく、人が通る道からは奥まっていて見えないし、人だって来ないのです。
で、自分は足が悪くてできないから、シルバー人材センターに草むしりと落ち葉掃きを頼むのですが、電話して、担当者と日程の調整して、直前にまた電話のやり取りして、というのが、なかなかうまくできない。自分で来てほしいと頼んでおきながら、いざ日程が確定するといきなりキャンセルの電話しちゃったりします。なんというか、どうってことないことでいきなりプチトラブルが発生するので油断できません。(ちなみに私が草むしりとか始めると、シルバーさんが来るからやらなくていいと言います。私に気を使ってくれてるというのもあるが、今までずっとやらなかった私が突然やる、というのは母自身が薄々気がついている認知症だという病識に何かしら触れてしまうのかもしれません)

まあ、こういったことは「プチ」トラブルです。実際起こってもどうってことないです。とはいえ起こらないに越したことはない。なぜ起こるのか、実際に経験しないとなかなか想像できないし、見ていない人に向かって言葉で説明するのはなかなか難しいですが、どういうときにプチトラブルが起こるのか、なんとなく分かってきました。母が家庭内でしていたことの権限を全部私が持っていってしまうのは、私も面倒だし、母のプライドを傷つけるので、母の決定権は残しつつ、外部とのやり取りは私がするといった感じで、プチトラブルを回避することができるようになりました。(あ、父が代わりに外部とのやり取りしたいところですが、父はほぼ耳が聞こえないのでできないのです)

今は父が毎日一緒にいるので(父の関わり方に問題点も多いのですがまた別の話)、本当に困ることは起こらずにすんでいます。

そういうわけで私は今のところ、母に簡単なサポートをするのみです。

私の目に映る今の母は、金遣いのやや荒い、やたら見えっ張りで、それでいて自分の希望は言えない人、という感じです。
この時代の女性というのはそういうものなのか、何を食べるのもどこへ行くのも、まず父の希望を聞き、私の希望を聞き、母は自分の希望を言おうとはしません。(そのわりに父とはしょっちゅう喧嘩してますけど^^;)

母について、悲しいとかかわいそうとかは全く思ってないです。以前と性格はだいぶ変わったなとは思うけど、それも母だし、今は今でそれなりに楽しいこともあるなら、それで充分ありがたい。何より食べ物を美味しく食べられて人と楽しく会話できるんだから、幸せですよね。

ただ、社会に役に立つ人間になれと言い、女性でもパートではなく正社員にならないとだめだと言い、街で見かける駄々をこねる子どもを、なぜあんなふうになるのか分からない(たぶんどんなふうに育てるとああなるのかと言いたかったのだと思う)と言っていた母、おいしい食べ物やお気に入りの洋服を買うために東京のデパートに行っていた母、そんな母が、自分のやりたいことも特になく、ただぼうっとテレビの前に日がな一日座っている。。

そんな姿を見て私は、社会的な成功と人生の満足って、一致しないのではないか、ということを感じるようになりました。

お金があっても、家を新築しても、立派な仕事をしても、生物としての人間の満足とは違うのではないか。

そしてそんなふうに感じはじめたとき、もともと60年ほど前まで農家だった実家の地目農地の持て余し気味の土地をどうするか、考えるようになりました。

土に触れ、動物の世話をし、周りの人間に共感し、配偶者を愛し、子どもの成長を見守る。

そういうことに、人生の満足は隠れているのではないか。

まあ、相当カッコつけてますが、言葉にするとそんな感じかなと。

そんなふうに思い始めてから、私がこの実家の農地を使うとしたら、どんな暮らしがしたいかな?と考えはじめて、いろいろ調べ始めたのです。

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