父のことを書く

この前母のことを書いたので、今度は父のことを書きたいと思う。

母について良いことを書いていないが、父はもっとひどい内容になるだろう。

私は、本当は父と関わりたくない。嫌い、というのとも少し違う。もうほっといてほしい、というとなんだか思春期の子どもみたいだけど、もっと深刻な感じで、もう精神に支配の手をつっこんで来ようとするのはやめてくれたらよいのに…まあ何を言っても理解できないから関係性が改善することはないので、諦めている感じ。

父は、母の1歳年上で、77歳。税理士である。

大学を出たあとは少しの間会社で働いたが、自分は長男だし、母親(つまり私の祖母)はリウマチで寝たきりのような状況だったし、転勤がある会社員は続けられないと思ったとかで、会社を辞めて何年か会計事務所で働きながら、税理士試験に合格したらしい。私が3歳になる前には事務所を開業していたと思われる。

このあたりのことは、収入は激減するわ、私と兄は小さいわ、祖母の世話はあるわ(当時は介護保険はなかったので)でとても苦労したみたいだけど、私が記憶にあるのは、事務所を開業して軌道に乗って、時代も時代で、ずいぶん羽振りが良くなってから。

私は記憶があるうちからおとなになるまで、うちは経済的に裕福だ、という自覚はあった。
地元のつながりで仕事を取ってくる部分が大きいので、私の通う小学校の生徒の親などが私の父を知っていたりして、なんとなく周囲が「あなたの家はすごいよね〜」みたいな反応だったからかもしれない。今にして思うとすごくもなんともないのだが。

当時の父は、そうやって人にあの手この手で取り入って(うわ、ひどい言い方。しかし他のよい表現方法が思いつかない)仕事をもらってきて、事務所は大きくなっていったのだろう。

そんな父は、どんな人物か。。辛辣にしか書けないのが自分でもひどいと思うが、

育ちが悪い。教養がない。信念がない。他者の心を理解する能力がない。素朴な差別主義者。

普段は普通だけど、いつ私の行動で気分を害して怒られるか分からないから、中学生くらいまでは怖かったし、その後は別に積極的に嫌いもしないけど、面倒くさいから無意識に避けていたような気がする。

父は、家族に対して、気分のままに接していたと思う。

普通にいたずらか何かをして怒られたこともあると思うのだが、私の中で父に怒られた記憶は、全て「悪気がなかったこと」だ。今でも繰り返し思い出すのは

小学校に上がる前、補助輪なしの自転車の練習で、私が怖がってうまく乗れず、父にドスの利いた声で怒られて泣いた。その後私は自転車の練習をしなくなり、結局小3になって自力で練習できるようになるまで自転車に乗れなかった。

父が車で兄と私をつくば万博に連れて行ってくれた。駐車場が遠くて、帰りに真っ暗な夜道を駐車場まで歩くのだが、遠くで雷が光っていて、私は怖がって泣いたら、とても怖く怒られた。

小学校3、4年くらいだと思うけど、自分でやかんでお湯を沸かして、魔法瓶に注ぐのだが、その魔法瓶を床に置かず、テーブルの上に置いたままで自分の目線くらいの高さからお湯を注いだことが、危ない、と言ってものすごく怒られた。…家族のために小学生がお湯を沸かすとか、偉くない?と今は思うのだけど。

とここまで書いて重要なことを思い出したが、私の中で父が暗い重りのような存在になっていることの大きな原因に、「夫婦げんかの恐ろしさ」があった。

私が小学から中学の間、2階で夜寝ていると、時々下からなんとも言えぬ静かな怒りがたまったような張り詰めた雰囲気の会話が聞こえてきた。私はなんだか自分が悪いことをしたようで、恐る恐る階段の下りる直前のところまで行って聞き耳を立てる。でも会話の内容は聞こえない。それは会話のままで終わることもある。私はその恐ろしい会話が終わることを祈っていた。けれど会話で終わらないこともある。会話はやがて口論になり、恐ろしい怒鳴り声になる。私はその怒鳴り声がこちらに来ないように必死に祈っていた。それが何回本当にこちらに来たのかは、全く覚えていない。でもあるとき本当に来たのだ。

私と兄が2段ベッドの上と下で寝ていたとき、両親は口論が収まらず、あろうことか私と兄が寝ている部屋まで来て、大声で口論を始めた。私と兄は泣き叫びながら、ベッドの上で「やめて」と何度も叫んでいた。あのときの記憶の中の映像。煌々とついている蛍光灯。泣き叫ぶ私と兄。取っ組み合いの両親。

そんなとき私は、自分が怒られるかもしれないと思い、とにかく怖かった。夫婦喧嘩だから私が怒られるわけないのに。

もう一つ父がけむたい要素がある。めちゃくちゃ気持ち悪いけど、私は父にとってかわいい娘という立ち位置でもあった。機嫌がよいとき、父は私の名前を猫なで声で呼んだ。成長すればするほど、その声に私は背筋が凍った。

現在、父と母は猫を飼っている。父はその猫を可愛がっていて、しょっちゅうその猫の名を猫なで声で呼んでいる。父にとって、自分の言動が相手にどのような影響を及ぼすのか、どこまでも分からないのだな、、、とその姿を見る度に思う。

社会人になり実家を離れ、たまに両親と会うときは、私は母とだけ話して父とはめったに会話しなかった。20年前に父が突発性難聴になり、予後が非常に悪く、10年くらい前からは大声で話しても簡単な会話もなかなか成立しないというのもあったから。

現在の父の姿は、他人から見るとどうなのだろう。私にとっては、父には悪いけど、恥ずかしいから他人のふりしたい。

耳がほとんど聞こえないので、ものすごく声が大きい。聞こえないのにものすごく周りの会話にはいってこようとする。聞こえないから?自分のペースで相手の反応も関係なく喋り続ける。歯がたくさん抜けているので喋り方がおかしい。マハトマ・ガンジーは歯が抜けててもかわいらしいけど、現代日本で歯がたくさん抜けてる76歳ってあまりいない。
ところで筆談すれば?て思います?老眼だから細かい字が見えないので、込み入った内容の筆談はできない。

筆談もできず、口頭での簡単な会話が成立しない。誰にとっても、今の父はけむたい。

そんな父の会話の相手や外部とのやり取りは、3年前母が軽度認知症になるまでは、母が一手に引き受けていた。母が軽度認知症になり、父が満足するような会話は母とはできなくなった。

父は、最後の会話の相手を失った。

去年の夏、父は股関節の手術のため1ヶ月以上入院した。その時父は、本当に私の精神が疲弊するくらい私に携帯メールを送りつけてきたのだが、久しぶりに父の負の感情をあてられ続け、いかに父の精神が私の精神を不自由にしていたかを改めて感じた。

私が楽しい時間を過ごしているとき、父は自分がいかにつらく大変な状況かを全力の筆致で気持ちをぶつけてくる。

そうだ。子供の頃から今までこういうことが何度もあった。私が何の気なしにしているとき、楽しいとき、父は急に自分の負の思いをぶつけてくることがあった。
それは私にとって、こういうメッセージである。

お前はいったい何を楽しんでいるのだ。私がこんなに大変なのに。子供のくせに、親に向かって。

…気持ちがたかぶって、父のことを悪く書きすぎた気もする。この世代の親なんてこんなもんだろう。私ももうおばさんだ、今さらどうということもない。

ただ、私はいつも怖い。私は性格が父によく似ている自覚がある。短気、浅はか、素直、仕事などが許容量超えるとパニックになる、などなど。私も周囲の人間も父がこんなにけむたいのだから、子どもや夫も私をけむたく思っているに違いない。友人も知り合ったばかりの人にも、私がこんなにうっとおしい人間と思われたくない。

知り合ったばかりの人に必要以上にニコニコしてみたり、逆に気を使わなくてよい家族には人一倍きつい口調になったり。

人との距離感が分からないことの一因として、父の影響はあるのだろうか。

でもこの歳まで生きて学んだことは、自分の悩みや苦しみって、割と多くの人が同じようなこと感じてて、別に自分のケースってさして珍しくもないということ。

まあ今書いてきたようなことで、私もつらいこともあったよね。父親のあれやこれや、だめだったと思うよ。そうそう、私は悪くなくて、父親が悪かったことってたくさんあったと思うよ。

私は悪くなかった、と思うことで、いつ何時もふと降りてくる罪悪感から開放されて、ニュートラルな状態になれるよう日々、意識している。(意識している時点でまだまだだと思うけど)

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