たまにどうしても行きたくなるクラシックコンサート

あんまり人には言えないのだけど、クラシック音楽が好きだ。

どの作曲家がいつの時代とか全く知らないし、音楽の勉強などもしたことがないし、〇〇楽章とか理解していないし、聴いたことがある曲が断片的に好き、という感じで、趣味とはとても呼べるレベルではなく、時々こっそりコンサートを聴きに行く。

好きになったのは最近のこと。2年くらい前にコープのチラシで見た交響組曲ドラゴンクエストというコンサートをなんとなく家族で行ってみたら、バイオリンを弾く人たちが何人もいるのに一つの音にしか聴こえなくて、「こんなに一糸乱れずに同じタイミングで弾けて、しかもなんてきれいな音なんだろう、どう聴いてもゲーム音楽なのに超優雅!」と感動したのだ。

聴きに行くなら交響曲一択である。ガンガン大きい音で演奏してくれないと、寝ちゃうからである。

目次

ほぼ一年ぶりのコンサート

新年のコンサート、それっぽい曲ばかりで、なんだかおめでたい雰囲気である。

よかった曲。

バーンスタイン「キャンディード」序曲。

バーンスタイン、ウエスト・サイド・ストーリーの作曲者ってことしか知らない。ウエスト・サイド・ストーリーはどの曲も一度聴いたら忘れない素晴らしい曲ばかりだけど、このキャンディードも明るくわかりやすいミュージカルっぽい曲で、私のような「にわか」の人には大変とっつきやすい。

ヨハン・シュトラウスⅡ「美しく青きドナウ」。

ニューイヤーコンサートといえばこの曲らしく、新年にコンサートに行くのが初めての私ですら「正月っぽいなあ」と思った。

私はこういう優雅な曲よりも、ベートーヴェンの第九みたいなスリリングで大音響な曲の方が好きなのだが(優雅な曲は寝ちゃうし)、初めて生で聴いた美しく青きドナウは、優雅な曲調ながら全く退屈させない変化があって(どんな変化かは忘れた)、聴き終わって静かな感動がお腹の中から沸き起こる感じがした。

クラシックが好きな理由

全然知らないくせに、興味ない曲は結構寝るくせに、時々無性に聴きたくなるクラシック。

聴きながら、なんで聴きたくなるのだろう〜、と考えた。

音が美しい、というのは第一なのだけれど。

聴いていると、「心」みたいなものが感じられるような気がするのだ。情熱?…やっぱり心かな。

文章を読むときも会話をしているときも、その文章が、会話であれば相手が、言葉の奥にある伝えようとしていること、述べていることの本質、心、そういったものが、字面だけではなく、私のお腹のあたりに感覚としてとらえられたとき、じんわりとした満足が感じられる。

クラシックも、音楽の奥にある心を捉えられたようなそんな瞬間があるのだ。

文章でも会話でも音楽でも絵でも、それらが表現しようとしている「心」を捉えた(ような気がする)とき、その感覚は、非常に説明が難しいのだけれど、頭で理解しているのではなく、お腹から胸のあたりで抱きしめるような、やや身体的な感覚だ。

この感覚はわりと地味だが、じんわり満足感が広がる体験である。私にとってはこれは生きることととても関係が深いのではないかと感じている。

美しい音の奥から湧いている心、それを感じるために、たまに無性にクラシックが聴きたくなる、のかもしれない。

のかなあ。

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