昼間は未だに暑いけど、一応季節は秋みたいだ。
木々も、秋来たのかな??と半信半疑といった感じで、葉っぱが緑なのか黄色なのか、まだらな色の変化がちらほらと。今日は実家に行ったところ、前の道路が落葉して葉っぱだらけになっていた。
うちの周りの落ち葉が嫌いな高齢者たち
ここは実家の家が建っているところから50メートルは離れているところなのだが、葉を落としている原因の木がうちの敷地か隣の地主の敷地か、非常に微妙な位置に立っていて、うちの木じゃありません、とははっきり断言できない。
去年、この場所から30メートルほど離れた家に住んでいるババアおばさんが実家を訪ねてきて、両親に「落ち葉を掃除してほしい」と言ってきたらしい。
杖をついていて足元がおぼつかない老人に、それ言うか?
木の目の前の家(この写真の右に写っている家)の人が今までは掃除していてくれたらしいのだけど、去年この一家が引っ越してしまって空き家になったので、掃除してくれる人がいなくなったらしい。
道路は私有地じゃないんだから、道路に落ちる分にはいいじゃん、と私など思うのだが、そのババアおばさんは道路の落ち葉が自分の家に飛んでくるのがいやなのか、はたまた道路の側溝が詰まるのが心配なのか、自分がやるなどということは微塵も考えていないその堂々とした態度うらやましいです(棒)。
落ち葉を掃除しろと言われた両親も、立場が変われば隣家から飛んでくる落ち葉が大嫌いのようで、毎年秋になると、隣の落ち葉が困るから今度こそ隣に言いに行くと言いつつやっぱり行かない、みたいな言動を繰り返している。
落ち葉、だめですか?
マンション暮らしの私が言っても、田舎暮らしの苦労を知らない人間が軽く言っているように聞こえてしまうとは思うのだが、隣家から自分の敷地に来る落ち葉ってそんなに迷惑?
まあ、枝が隣から自分の敷地に伸びてきてしまっている、というのは良くないとは思うが、隣家の敷地に生えている木から風で落ち葉が飛んでくるのをどうやって止めろと。木が「ここは隣の家の庭だから落とすのはやめよう」とか区別するわけがない。
自分の敷地の落ち葉を掃除する以上のことはできないと思うのだが。無理ゲーはやる気が出ない。
自分だったら、隣家から落ち葉が来ても、庭がアスファルトではなく土だったら別に掃除もせずに放っておくだろうし。土に還るんだから。エアコンの室外機の下などに吹き溜まると腐葉土ができてゲジゲジとかが発生して大変なことになるので、吹き溜まりは作らないように気をつけるけれど。
「武蔵野の落ち葉堆肥農法」という世界農業遺産を持っている埼玉県の住民とは思えないよ?その心の狭さは。
森で落ち葉がいかに素晴らしいフカフカの腐葉土を作るかを知った今は、落ち葉を嫌いな人を見ると残念でならない。
一人楽しく落ち葉掃き
とは言えオバハンもうるさいし、空き家となった目の前の家もリフォームをしてきれいになって次の入居者を待っている。その玄関先を落ち葉と落ちた実だらけにして、不動産屋に因縁をつけられると何か言われると気分が悪いので、ひとり落ち葉掃きにとりかかった。
だいたい落ち葉掃きって、運動になるしなかなか楽しい。
そして、簡単そうに見えてなかなか技術のいる作業だと思う。
ひと掃きでなかなか全部の葉っぱを移動させられない。せかせか掃いてはいけないし、ストロークを長くしようとすると腕に変な力がはいってしまって、あとで筋肉痛になりそう。
無理な力を入れないでひと掃きできれいに掃いて、ぎゅうぎゅうと踏んでなるべくたくさんちりとりに集める。
自分の中の理想の掃き方になるまで、まだまだ鍛錬が必要です。
などということを考えながら掃いていたら、すっきりきれいに、とはならないけれど、ビフォーアフターが分かるくらいには片付けた。今日はここまでとしよう。
掃除が終わって実家に戻ろうとしたとき、実家の飼い猫が外で休んでいるのを発見。君、外ではそんなところで時間をつぶしていたんだね。
いつもと違うことをすると、小さくてもいろいろな発見ができる。
そういうことが生きる楽しみではないの?うちのじゃないなんて細かいこと言ってないで、みんなで掃除したら、いいことあると思うんだけど。
気持ちに少しだけゆとりを持って、ちょっとだけ不便を楽しんでみたら、何気ない日常が面白い世界に変わります。うんざりの落ち葉も、土に還せば豊かな土壌に変わるように。
私達の住む日常を豊かな世界に変えてみませんか。変えていくのは簡単、私達の気持ちをちょっと切り替えてみたらよいだけ。そんなちょっとした方法を盛り込んだ、「まちではじめる自給自足」無料メルマガ、やってます。